美術教育集団AONOSEのアフターコロナ
いろいろ。
現代アート の 楽しみ方
あれ、ニノどこいった!?
白壁に擬態して展示と同化してる!?
自身もホワイトノイズと化したか・・・? 蛾か・・・
作品がないことで、ふだん見えない何かが立ち現れる、まさに美術館という存在そのものを展示した展覧会・・・
極めてミニマルな表現・・・ならば
日本のミニマルアート「俳句」
しずかさや めつむる きょしつ せみのこえ
(何もない静かな空間で、目をつむりまぶたに映る光を感じ、この場に思いを馳せる。外に出ると、蝉の声がシャワーのように降りそそいで恍惚となるなぁ)
なに噛み締めてんだよ。まんま芭蕉のパクリじゃねぇか!
ふん!和歌の本歌取り、美術のシミュレーショニズムざます!
う~ん。展示用ブースの微かな光の美!?
というか、ジェームズ・タレルそのまんま・・。
ミニマルといえば、、現在100億円とかで取引されたりするバーネット・ニューマン作品はここら辺からインスピレーションを受けて制作した気もしてくるなぁ。(絵の中の直線ZIPって壁の継ぎ目?)
ああ・・・こんなコロナ禍でも、空は美しい・・・
本当だ・・・
いや~、すばらしかったね!!
世田谷美術館がコロナ禍の最中に投げかけた問いでもある<現代版/空虚の展示>を、みんなそれぞれに受け止めてくれた。
他者に話すことで心の傷をソフィ・カル的に客観視?したツッチー、
自らを作品としてギルバート&ジョージのように楽しみパフォーマンスの場としたキャ☆ずな、
場のノイズ=訪れた人たちをジョン・ケージ並みに楽しんだニノ、
作品を美しく見せるためのライティングや、窓から映る空模様をジェームズ・タレル的に味わった真紀さん・・・
様々な回答がでましたね!
たしかに、解釈の多様性をみたざます
空虚な気分になったところで差し出されたワンカップ。
人のやさしさが身にしみた・・・
・・・・・・
<作品>を展示するための美術館で、その主役が消えたときに突如として立ち現れる<何か>はそれぞれ異なるし、子どもが何もないところから新しい遊びを考えだしたり、さまざまな妄想を広げるのと似てましたね。
まさに!!
みんなの解答を聞いていると、現代アートはスペクタクルなコテコテの作り物ではなく、不足なものを想像力で補い味わう日本の「わび・さび」思考に近い気がしますね。
これもアフターコロナ時代の一つの解答と言えそうです。
というわけで、「現代アートの楽しみ方」いかがだったでしょうか?
次はあなたの街で、お会いするその日まで。
アディオ〜ス!!!
後日・・・